■■■  平たい床こそ間違っている! ■■■
三鷹天命反転住宅で自然と共存する意識をつくるとき     

(国際縄文学協会会員)
初掲  国際縄文学協会会報「縄文」14号  平成18 年夏  
平成19年9月6日加筆修正 得丸 公明

{21}

 

 

 

 

 

 

 

 


 三鷹天命反転住宅内部の、ゆるやかな傾斜をもち、小さな起伏と窪みが続く床 は、見るものを驚かす。既成概念からあまりにかけ離れている床は、床として認識 されず、見るものは言葉を失う。でもそれは、正しくものを見ていないからだ。

 われわれの意識は容易に認めないが、この波うつ床こそが、家の床のあるべき姿 であり、平坦な床こそが、ゆとり不足、思慮不足の人類が犯した過ちだ。じっさ い、我々の祖先は、裸化し、衣服や住居を作る技術を使いこなして洞窟を出るまで の数万年にわたって、南アフリカのテーブルマウンテン砂岩層に波力で穿たれた洞 窟の床や壁に囲まれて暮らしていた可能性がある。私は自分の足で、今から13万年 前から6万年前までの現生人類の居住跡があるクラシーズ河口洞窟を訪れ、そこにな ら長期間にわたって住むことができるだろうということを自分の目で確かめてき た。われわれの祖先がこの洞窟を出たのは、ごく最近、今から6万年ほど前のことに すぎない。
 文明の暴走により、地球がおかしくなってしまい、21世紀は危機の時代とな る。人類は、天命反転住宅のような空間に住んで、野性の感覚を取り戻し、自然と 調和する新たな文明をつくりだすべき時を迎えているのである。

・ なぜヒトに毛皮がないのか。
 
猫や犬は、夏も冬も毛皮を着ている。だがヒトは、ホームレスと呼ばれるように なっても段ボールやビニルの仮設住宅に住む。ヒトが雨露を避けなければならない のは、毛皮がないからだ。
 なぜヒトに毛皮がないか。単純だけど根源的な問いだ。根源的すぎてふつう考え ない。そもそもわれわれは文明空間というあまりに不自然な空間に住んでいるか ら、自分たちが裸の哺乳類であるという奇妙な事実を疑問に思うことがない。僕自 身この問いに出会ったのはたかだか2年前、2005年のことだ。
 「はだかの起原」(木楽舎、2004年)の著者島泰三先生は、日本の山中でニホンザ ルをおいかけ、マダガスカルのジャングルでアイアイの生態を明らかにした人類学 者。餌付けされていない野生のサルだけを観察する現場重視のサル学者である。
 本書の冒頭、台風接近にともなう暴風雨の房総半島で、著者がニホンザルの群れ を追いかけたときの経験が語られている。驚きを共有するために、著者が問いに出 会ったところを紹介しよう。

・毛皮は快適な雨具
 1982年の秋のこと、それまでニホンザルの群れは「暴風雨の時には動かずに、洞 窟や深い森の避難場所でじっとしている」と言われていた。しかし、学者の生態を ちかぢかと観察するにつけても、これらの都会生活者が暴風雨の時に野外に出かけ るかどうかあやしいものだと、常々疑っていた著者は、自分の目で確かめるた め、暴風雨の房総半島の山中で、サルの群れを朝からずっと追いかけ ていた。
 ところが、サルたちの移動距離も食べている様子も、普段の日とまったく変わら ない。その日の寝場所までついていって、よく見ようと思って木に登ると、船の上 のように木が揺れる。これほどの風と雨だから、いくらかはサルの活動も鈍ってい いものだがと、隣の木を見ると、2,3歳のコザルたちが跳ね回って遊んでいる。 「愕然とした。これだけの風雨も、彼らには何の影響も及ぼしていなかった。こち らは夕方になって冷え込んできて、濡れた体はもうこれ以上無理と言っている。し かし、このサルの子供たちは、雨具もなく服もなく、ただ濡れるだけ濡れているは ずなのに、普段と同じか、あるいはそれ以上に風に揺れる枝の動きを楽しんでい る。たしかに毛皮も濡れている。だが、ブルッとひとつ身震いすると、 水滴は飛ん でしまって、また快適な毛皮である。
 そこに、完璧な雨具があった。寒暖、風雪、晴雨にかかわらず、常に体を守る衣 類がそこにあった。それがサルたちの毛皮だった。

 なぜ、こんなに大切なものを、人間は失ったのだろうか?」

 以来著者はこの疑問を抱きつづけてきた。なぜヒトは無毛なのか。
 裸になって 得なことは何もない。ヒトが裸であることは、ダーウィンの適者生存説でも性淘汰 説でも説明がつかない現象である。

・裸化がミッシングリンク
 同じ著者による「親指はなぜ太いのか  直立二足歩行の起原に迫る」(中公新 書、2003年)と「はだかの起原」を合わせ読んで、私は、ヒトの裸化を以下のよう に推論する。■東アフリカ高地に、600万年前にジャングルを出てきて、チンパン ジーから種分化した類人猿がすんでいた。

  この類人猿は石斧を持ちあるき、肉食獣の食べ残した草食獣の骨を砕いて持ち 帰って主食としていたために、200万年ほど前から、直立二足歩行するようになっ た。

  骨はたんぱく質、脂質、エネルギー、カルシウム、鉄、ミネラルなどに富んだ栄 養価の高い食品である。
 
著者は、さまざまな猿の手と口と主食を観察して、「主食は、霊長類の種の口と 手の形を決定する」とする仮説を導き出した。ヒトの場合も、手と歯の形から推測 すると主食は骨になるという。
  骨を主食とする猿たちは、長い年月石斧を握っていたので、親指が他の指に向か い合う拇指対向性の手をもつようになった。骨を安全なねぐらに持ち帰って食べて いたから、直立二足歩行になった。
  固い骨をすりつぶして食べることができるように、厚いエナメル質の大きな臼歯 をもち、前歯から一番奥の大臼歯まで同じ高さの平面をつくり、上下の歯は噛みあ わせるのではなく、金槌で床を叩くように水平な平面でぶつかる。あごも進化し て、臼で粉をひくように、上下の歯列が前後左右に回転する。
  考古学者たちによって発見された資料によれば、骨を主食にしたとおぼしき直立 二足歩行のサル、ホモ・エレクトゥスが使用していた石器は、約190万年前から30万 年前までの間ほとんど変化しておらず、彼らは「ヒョウと同じ程度の野生動物だっ た」のであり、毛皮を身に着けていた。おそらく言葉もまだ発していなかったと思 われる。

■「はだかの起原」の中で著者は、博物学的な知識を駆使して、裸の哺乳類を分類 し、裸化の理由を分析する。 ゾウやサイやカバなど体重が1トン以上の大型哺乳類は、「餌を食べるだけで体温 が上がってしまい、熱を外に出さないと自分の中で自分がゆだってしまう」ので放 熱手段として裸化した。
(注:実は、ゾウやサイやカバは、体毛はないが、皮膚が厚いため、「はだか」のカ テゴリーに入れないほうが妥当かもしれない。ハダカとは、「皮膚も薄くて、毛も 薄い」と定義しておけば、ハダカの哺乳類としては、人類とハダカデバネズミしか いなくなる。
 小型の裸の哺乳類は、ほとんどいないか、いても一属に一種だけの完全に弧 絶し た例外的な現象で、世界でも、コビトカバ、バビルーサ、ハダカデバネズミ、ハダ カオヒキコウモリしかいない。
 これらに共通するのは、水辺のトンネル生活、穴倉暮らしである。コビトカバは 熱帯地方の水辺のトンネルに住む。ハダカオヒキコウモリや洞窟を棲み家とし、ハ ダカデバネズミは東アフリカの草原の地下にはりめぐらされたトンネルを棲家とする。

・ハダカデバネズミの生態
 これらのうち、ハダカデバネズミの生態は知れば知るだけおもしろい。一匹の女 王を頂点とする真社会性社会を構成しており、仲間内は排泄物をなめあうほど親し い一方で、別の巣穴に住む余所者、異端分子には攻撃的になる。

  音声コミュニケーションが発達しており、17以上の違った音節の連なりによっ て、それぞれ違った意味を伝え合っている。また、同じ群れの中でも、体重が重た いほうが偉いらしく、必ず体重の軽いほうがたくさん挨拶をするそうである。 ネズミのくせに、赤ちゃんが生れてから大人になるまでの期間が長く、1年くらい 遊んでいるだけだという。

 食料はいきあたりばったりにトンネルを掘って、たまたま見つけた草木の根が中 心だから、恒常的に食料が確保されるあてはない。そのためか食べる量 が体重の割 に極端に少なく、女王がみんなを敷布団のように下にして地下の寝室で寝てばかり いる。酸素の吸収効率も極端によいという。

  暗闇のトンネルの中を走り回るために、目はほとんど見えないが、皮膚に痛みを 感じる痛点がないので、怪我をしても痛まないという。

 人類の場合、ひとつには、洞窟の中で環境適応しつつ徐々に変化がおき可能性 ある。雨露や風雪をしのげ、温度や湿度の変化が少なく、飲み水も容易に手に入る 洞窟の中で、体温や水分調節の必要性が減って、毛皮が薄くなって、裸化したとい う可能性だ。衣服の着用による摩擦の可能性もないわけではない。

  あるいは、焚き火に長時間当たりすぎるという環境ストレスや、食料難の環境ス トレスによって、突然変異的に毛皮が失われたのかもしれない。

 いずれにしても、裸になった人類が生き延びるためには、裸でも生きていける環 境の中にいなければならない。それは洞窟をおいてほかにないではないか。

  その時期は、衣服が誕生したと思われる今から7万年前。だとすればそれは、現生 人類が南アフリカにある中期旧石器遺跡に住んでいたときのことだ。いったいそれ らの洞窟は、裸になった現生人類の群れを住まわせるほど広くて、快適な環境で あったのだろうか。
 そのことを確かめるために、私は南アフリカの東ケープ州にあるクラシーズ河口 洞窟を訪れてきた。ここは今から13万年前から6万年前までの現生人類の居住が確認 されている。

  その第3号洞窟の中は、広くて、暖かい。海抜20mのところにある砂岩洞窟だか ら、じめじめしたところがない。ここでなら裸化しても生きていくことができると 直観した。
■21世紀になって、現生人類は皆、アフリカを単一の起原とするとする遺伝学者の 学説が正しかったことが明らかになった。地球上のすべての人類は、およそ今から 25万年ほど前に南アフリカに住んでいた一人の女性のDNAを受け継いでいるとい う。
 南アフリカの石灰岩の洞窟を棲家としたサルは、何十万年あるいは百万年以上に わたって、何千、何万もの新しい世代を生んだ。温度が一定で水もある洞窟の中で は、徐々に毛皮の必要性が減ってくる。他の動物の毛皮を衣服や敷物や上掛けとし て使い始めると、摩擦によっても毛皮は薄くなる。
 ラマルクの用不用の法則によれば、両親が環境適応して獲得した形質は、同じ環 境下にあっては、生まれながらの遺伝形質として子供たちに伝わる。その結 果、我々のように毛皮のない、ハダカホネクイザルとでも呼ぶべきサルが生まれ た。

・文化の起原 : 洞窟内の余暇
 おそらく文化も洞窟の中で生まれた。

 猛獣や猛毒をもった生物から襲われることのない安全な洞窟の中で、ヒトは余暇 を手にいれ、壁に絵を描き、顔に顔料を塗るようになった。

 敵の襲撃から身を護る必要から後背位で行っていたセックスも、安全な洞窟の中 では対面して、「正常」位で行うようになる。向かい合えば言葉を交わしたくな る。だから言葉が生まれたのかもしれない。
 そもそも暗い洞窟の中では、身振りや手振りは使えない。音声によるコミュニ ケーションが発達せざるをえない環境では、ゴリラやチンパンジーがコミュニケー ションに用いる、胸たたき(ドラミング)が行われていたであろう。 ついで舌を鳴らすクリックによる言語が生まれた。舌の筋肉は、心臓と直接結び ついている。だから鼓動とも親和性をもっていると考えられる。
  地球上に約6000あるとされる人類の言語を統計的に解析すると、すべての言語は 10万年前にアフリカで使われていた言語に帰一するという。もっとも古い言語 は、ブッシュマンたちが今も使っているコイサン語であろう。この言葉の特徴 は、舌打ち音を使うことにある。舌打ち音は、肺からの空気の流れ肺気流を使わず に発声することができる。

 クリックを使っているうちに、舌の筋肉が発達して、喉頭蓋が下降し、肺に取り 込んだ空気を口から吐き出し、舌の形状を変えることによって、母音や子音を使っ た言葉を発することができるようになったのではないだろうか。はじめにクリック を使った言葉が生れて、その後に音声を発することができるようになったと考えら れる。

 言葉が生まれると詩や歌が生まれた。一方で言葉があるために、死後の世界や将 来について不安が生まれ、儀礼や祭祀が生まれた。
 我々は、洞窟が好きだ。洞窟や穴倉をみると、ついつい入ってみたくなる。子供 たちはもの心ついたときから押入れや穴倉に隠れたがり、お父さんたちは駅前の小 さなスナックの止まり木でしばし心の安らぎを得る。これは洞窟の中で暮らしてい たときの記憶がまだどこかに残っているからではないだろうか。

・文明の起原:野外に作った洞窟
 洞窟の中の快適な生活の中で裸になったサルたちは、いつしか個体数が増え、洞 窟の外で暮らすほかなくなった群れが生まれた。大の字になって眠れた洞窟を出 て、どうすれば安眠できるだろう。どうすれば敵から身を守れるだろう。
 快適で安全な洞窟暮らしを続けていたヒトは自然への適応能力を大幅に失ってお り、外の自然を脅威と感じるようになっていた。毛皮があったときは、猛獣や毒蛇 だけに注意を払えばよかったのに、毛皮がなくなると虫や植物の棘も脅威になる。
 洞窟の中は静謐だったが、外では他の動物たちの息吹や移動や生存競争その他の 音が、闇の向こうから聞こえてくる。洞窟の中で獲得した言語機能は、あらぬ 想像 力や恐怖心を生み、夜も眠れない状態が続く。
 手先が器用になったヒトは、そこで衣服を作って着るようになり、さらに家を 作った。衣服も家も人工の洞窟だと考えることができる。これが文明の始まり だ。文明とは、自然を改造して、野外に人工の洞窟をつくることだった。

・文明 がヒトの思考を単調にした
 だが、もし原型に忠実に住居を作っていたなら、床も 壁も天井もけっして平面 ではなかっただろう。何十万、何百万年かけて石灰岩水溶 液が堆積してできた鍾乳洞の内部は芸術作品のようだったのに、それをなつかしむ ゆとりが建築家になかったのだろう。
 かわりに創ったのは、雨露をしのぎ、敵から身を守ることだけを考えた、平面 や 直線で囲まれた空間だった。  
 そして、もっとも悲しむべきことは、文明環境は、ひとり人間だけがその空間を 独占利用することを前提として作られている。それまでそこに住んでいた野生動 物、昆虫、植物は、すべて生活の場を追い立てられるか、絶滅の憂き目にあうので あった。
 
  こうして文明化は、多種多様な生命を育んでいた森林をつぎつぎに切り開い て、平地にした。産業革命以降、ヒトの破壊力は一気に増え、地球のすみずみまで 開墾しつくし、人口爆発が起きた。野生動物は餌場を奪われ滅んでいった。
 文明とは「自然の中では生きていけないヒトが、自然環境を改変してつくりだし た人工的環境」である。それは多種多様多彩で生命感あふれる自然を、ヒトが利用 しやすいように切り取って、平坦で生命感の乏しい空間へと作り変える作業だった。
 都市文明、農耕文明、機械文明、石油文明、自動車文明、文明の利器、文明生 活…。文明という概念は、どれも自然を人工物や人為で置き換える行為を含む。文明 は自然の対義語である。 これまで文明という言葉は、「文明人対野蛮・未開人」という図式で、ヒトの優 劣をつけるために使用されることが多かったが、それはたまたま「文明」という言 葉が植民地侵略、異民族殺戮・支配の正当化イデオロギー、征服した側が略奪や差 別を正当化するために使われていたためである。
 文明人対野蛮人の図式は、ヒトの自然に対する暴力的な働きかけを見えなくす る。文明の本質は「文明(=ヒトの活動)対自然」にあったのだ。

・人口が増えて自 然が減った
 地球の陸地をオセロ盤だとすると、ヒトが洞窟から出るまでの地球は自然一 色、全面緑色だった。狩猟採集だけでは食糧供給が足りなくなり、ヒトが農耕を営 み始めた約1万年前から、黒い文明領域がポツポツ出てきて、それはその後拡大の一 途をたどる。
 農業、都市、鉱山開発、道路、その他もろもろのヒトの活動によって、少しずつ 緑色の領域は文明の黒色へと反転していった。いったん黒くなった部分は、もう緑 には戻らない。

 文明圏が拡大していくスピードは、人口増加曲線に表される。一人のヒトが生き るためには一定の食糧が必要だから、人口は食糧生産を行う面積に換算できる。人 口増加した分、森林が減った。
 文明圏を無定見に広げてきたおかげでヒトは異常繁殖した。今、地球の人口は約 68億人。この30年というもの毎年ほぼ1億人ずつ増えてきた。地球の森林にはもはや 人口増加を受け入れる余地はない。昨今のブラジルとロシアの経済発展は、地球上 にわずかに残ったシベリア寒帯林とアマゾン熱帯林の乱伐に依存しており、あとわ ずかしか続かないだろう。
 このような文明には未来がない。どうすればよいのだろう。文明をつくりだ し、地球全体を文明領域に変えたヒトは、自らの生存基盤も破壊した。文明の単調 な生活環境の中で、我々はますます自然が見えなくなり、宇宙や生命進化の法則に 反する生活を送るようになった。

・ヒトも生命記憶をもっている 
盲目的な文明から逃れ、新たな文明をつくりだ すヒントは、生命記憶にある。

 人間の胎児の成長を観察すると、「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッ ケルの法則が正しかったことがわかる。子宮の中で、単細胞の卵子に精子が入り込 み、それがヘテロクローン化(違った形の細胞に分裂)を繰り返す300日の妊娠期間中 に、魚の胎児と同じ顔をしている時期があったり、水棲生物から陸上生物に進化す るときの苦しみを体験したり(つわり現象)、我々はこの世に生まれ出る前に、5億年 の生命進化の後追いをする。その記憶はきっとどこかの細胞にすりこまれている。( 西原克成著「内臓が生みだす心」NHKブックス、2002年)  我々の細胞や遺伝子の中にすり込まれている、何億年か昔から続く生命の記憶を 活性化すれば、文明の記憶喪失状態から、立ち直ることができないか。

 三鷹天命反転住宅は、私たちの生命記憶を呼び覚ます場である。

・縄文の風土から生まれた荒川
 ヨーロッパの文明やヨーロッパ人のものの考え方と比べると、日本のそれらは合 理性に欠けると感じることがある。どうして日本人はもっと合理的に考えられない のかと、悔しく思ったこともある。
 一方で、縄文の土器の形状や文様、寺院や料亭の庭石や踏み石の配置など は、けっして合理的とはいえないのに、心が安らぐ。もしかすると、合理的な幾何 学文様こそが間違っているのかもしれない。
 そのように直観的で非直線的な造形をつくり出した我らの祖先と、その造形を受 けいれる我々の意識は、日本列島の恵まれた自然環境で培われたものだ。
 津々浦々が海に面し、夏も冬も雨が降り、どこもかしこも山があって緑の生い茂 る日本列島は、まさに神国日本であり、古くから詩作も盛んで、実景描写 の短歌や 俳句が、そのまま詠むものの心を表していた。
 荒川修作の、多弁的で躍動感があり、詩的にカラフルな造形は、縄文土器と同じ ように、日本の風土を反映している。
 三鷹天命反転住宅の波うつ床は、そこに住むヒトの、意識の深層部で眠っている 生命記憶を呼び覚ます野生の床だ。家の中で光や風は、あたりまえのように表情を 変え、太陽や風の偉大さを感じさせる。  この家の中に仕掛けられた手続きにしたがって身体を動かすと、意識の深奥にあ る、自分たちも自然の一部であるという自覚が呼び起こされる。この家は、私たち の意識を自然に引き戻す装置だ。
 この家の中で活性化した意識で、外部の無機的で殺伐とした道路や建物に目をや ると、「ごめんなさい」、「僕たちが間違ってました」と、申し訳ない気持ち、恥 ずかしい気持ちでいっぱいになる。ハダカ化してから約7万年、人類が文明社会を築 いてから約1万年の建築的な誤りを、心底から反省することになる。これまで行って きた自然への乱暴狼藉を悔い改め、自然とヒトとの新しい関係性を求め始める。
 

 それはたとえば、宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」の中で書き残したように、「ヒデ リノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ、ミンナニデクノボー トヨバレ」て生きていく生き方ではないかと思う。デクノボーな生き方こそが、人 類がこの地球上で許される唯一の生き方ではないだろうか。

・天命反転住宅を使用するとき

 天命反転住宅をもっともっとたくさんつくり、同時に天命反転オフィスもつく り、住宅とオフィスから構成される天命反転都市へと発展させよう。そこでみんな が使用法に従って住めば、人類は地球と共存できるようになる。
 
  そのためには、まずは総理大臣や経団連会長といった政治・経済のリーダーたち に、天命反転住宅に住んでいただき、意識を改めてもらうといいだろう。意識が改 まるまで、住宅から外に出ることを禁止するなどの手段も必要だ。 三鷹天命反転住宅はもう完成している。一刻も早く使用して、人類の意識を改め る段階に入らなければならない。

 

(国際縄文学協会会員)
初掲  国際縄文学協会会報「縄文」14号、平成18 年夏
平成19年9月6日加筆修正







{3} ■得丸公明 ライブラリー   {23}


{24}



{25}
{6} {16} {26}
{7} {17} {27}
{8} {18} {28}
{9} {19} {29}
{10} {20} {30}

(C)Copyright 2001 MILESTONE ART WORKS, All Rights Reserved.

著作権について:
MILESTONE ART WORKS及び作家が提供するこのウェブサイト上の文書、画像、音声、プロ
グラム などを含む全ての情報を、著作権者の許可なく複製、転用する事を堅くお断り致します。