■得丸公明 ライブラリー  

三鷹天命反転住宅体験入居の記  Part-2

■■■ もう美術館の時代は、本当に終わったのかもしれない ■■■  得丸公明

{21}

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 




 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 





 

 

 

 







 






 

 

 

 

 

 

 

 




 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

9月3日(月) 5泊目

40)

ミクシーの「西原医学」コミュで、昨年12月に西原研究所の成果発表会と忘年会の参加者を募ったときに、大阪からかけつけてくれた歯科技工士の白田さんは、今年から西原研究所の研究員になっていて、ときどき東京にきている。今回はちょっと長めで10日間ほどきておられた。

9月1日(土)に東京芸大で開かれた三木成夫シンポジウムで、西原先生がご講演されるので、僕も上野まででかけた。 白田さんとはたまたま隣り合わせに座ったのだけど、午後から油壺で西原研究所の解剖実習合宿に参加するというので、朝一番の西原先生のご講演が終わるとすぐにシンポジウム会場を後にされて、一瞬顔を合わせただけだった。せっかく東京にいる間に、一度くらい話をしようとメールでやりとりし、月曜日の晩に四ツ谷でいっしょに食事することになった。

月曜日の朝、自宅を出るときに、そうだ、せっかくだから、荒川さんの三鷹天命反転住宅もみていただこうと思い、泊まれる用意をしてくるようにメールする。

9時前に四ツ谷の駅で落ち合って、四ツ谷小学校裏のこれ以上ないというくらい隠れ家的な小料理屋「万作」で食事し、JR四ッ谷駅を21時15分すぎの中央線快速にのり、三鷹から大沢十字路行きバスにのると、バスはちょうど家の前に22時に泊まった。

いつものように電灯を点けないで部屋の中に入る。暗い部屋の中をグルグルと回る。なんとなく近すぎず遠すぎずという距離をとっているのだろうか、ちょうど白田さんの動きに対して円周上で位 相がπ(180度)ずれたところを歩いている自分がいた。
 

しばらく歩いてから、「どこで寝たい?」と聞くと、球形の書斎の中に吊るしてあるハンモックの中がいいという。じゃあ僕は反対の方にしようと、オレンジ色のハシゴの奥の傾斜のないところを陣取る。ここでも位 相はπずれる。

紅茶を一杯飲んで、床に横になると、体がもうここから動きたくないという。そのまま3時半まで眠る。起きて白田君が気持よさそうにハンモックの中で寝ている写 真を撮る。シャワーを浴びて、また横になり、断続的に眠る。

今日は、足が少し床の上で遊んだほかは、腰を浮かしてブラブラしたり(腰動法)、体全体をくねくねとした(合気道の準備運動でやるところの「金魚運動」)だけで、ドラミングは起きなかった。

白田君が起きてきて、シャワーを浴びた。日誌を書いて貰う。

「研修生の白田です。私は球のような部屋でハンモックで寝たのですが、球体の中で揺られていると、音が反響したり、空気の流れなどの関係か、胎児になった気分で寝ることができました。手足を自由に動かせずにつつまれてゆられている感じで、他の場所でハンモックを使ったとしても同じ感じは得れなかったと思います。貴重な体験ありがとうございました。」

9月5日(水) 6泊目

41)
18:30 
井上育英会の月例夕食会で、貸費生たちにソトコトの記事を配り、今年の4月に僕が訪ねてきたクラシーズ河口洞窟において、ハダカの人類が誕生した可能性についてちょっとだけ話をした。

具体的な証拠は話だけど、人類がハダカ化したことが文明を生み出し、それが最近ますます深刻化する地球環境問題に直結するという話は、やはり衝撃的である。地球人口が50億人になったとされる1986年に人類は滅びの時代に入ったと考えると、それは今の大学生が生れた頃である。

最近、4年に及ぶヨーロッパ(フランス、スペイン)留学から帰国して、さっそくメリルリンチ日本証券で働いている大久保君が、「(もうここまできたら)何をやっても同じなんでしょ」という。「そうだよ。同じだよ。だけど、この真実を知って、あせることなく、淡々と生きることが求められているのではないかな」と答える。

いつもなら、食事会の後、近くの焼き鳥屋で話を続けるのだけど、今週は育英会の行事が火曜日と金曜日にもあり、三鷹の家に早く返りたいので、今回は二次会は辞退する。

42) 四ツ谷発21:18の青梅行きで三鷹からバスに乗り換えて、22時丁度に家の前のバス停に着く。

電灯を点けないまま、家の中に入る。

室内は少し蒸っとする。荷物を入り口において、はだしになり、床の上を歩き回る。

((魅力的な夜の庭))
グルグルと回りながら、北側の窓のカーテンを一枚ずつ開けていく。北側のベランダのドアを開く。夜のベランダの鉢植えの草木を見る。ベランダから体を少し乗り出して、前庭を見下ろす。その位 置から庭の写真を何枚か撮る。

それから、一階に下りていって、夜の庭の草木の写 真を撮る。夜の庭の草木や小さな赤い自転車のそれぞれに、なんともいえない表情がある。  少し蚊に食われた。

43) 23:00
少し疲れたので、床の上に直接横になる。両手の平もぴったりと床につける。とても気持がよい。 昨日白田君が揺られていた書斎のハンモックに少し揺られた。気持がよい。
日記を書く。

再び床の上に寝転がって天井を見たら、天井の銀色のフックが星空のように見えてきれいだった。窓から流れてくる風は生暖かく僕の体の上を乗り越えていく。床の冷たさが心地よい。


■9月6日

44)
04:00
夕べは元蚊帳を吊っていたところで、いつものように、直接床の上に寝た。

4時前に目が覚める。 このあといったいどうなるのだろうと思っていたら、足がデコボコを探し、手が探し、体が仰向けから腹這いになりと、気持のよい動きや姿勢を自然に求めていく。
胸を軽く叩く、肋骨の下の横隔膜のところを叩く。

((ナメクジになった))
5時過ぎになった。 腹這いになった状態で、ハシゴの方を見やると、なんとなく腹這いになったまま近づきたい気持になる。
蛇のように、あるいはナメクジのように、腹這いのまま反時計回りに床の上を進む。

写真を撮ると、近くすぎて、内蔵ストロボの光で床にできるレンズの影が写 る。タテ位置に持ちかえる。

一周を回るのに30分以上かかって、もとの広場の書斎前に戻りつき、元蚊帳のあたりを眺める。
今年4月に訪れた南アフリカ・クラシーズ河口洞窟第3号洞窟の、入ってすぐのところにある広い空間を思い出す。あそこで旧石器人たちは、火をたいて、だんらんしていたのだろう。

ナメクジになっていたときにふと思ったのだが、この空間を作ったのが荒川修作でも、黒川紀章でも、安藤忠雄でも、そんなものどうでもよくって、床にあるデコボコ、天井できらきら星空のように光るフック、要するに今あるこの空間の存在だけが大事なのである。

文芸評論家の福田宏年の死後の出版となった「時が紡ぐ幻 − 近代芸術観批判」の中に、志賀直哉が夢殿の百済観音について書いた言葉が紹介されていた。

  夢殿の救世観音を見ていると、その作者というような
 ものは全く浮んで来ない。それは作者というものからそ
 れが完全に遊離した存在となっているからで、これは又
 格別な事である。文芸の上で若し私にそんな仕事でも出
 来ることがあったら、私は勿論それに自分の名など冠せ
 ようとは思わないだろう。 (仮名遣いは現代に変更)

要するに、誰が作ったのかなんてどうでもよいということ。藝術とか、美術などという概念上のことを気にしないで、言語以前にある直接的な感覚の体験として受け止めるべきであるのだ。

45)
ナメクジであることを止めてから、また日本の足で立ち上がると、家の周りの庭のことがまた気になったので降りてみる。あの草花たちは、朝はどんな顔をしているのだろう、と思ったのだった。

102号室のドアの脇の小さな小さな庭を見てから、103号室の前にいくと、部屋の外においてある温水器のカバーの上に、大きな黒猫がいた。少し身を引いたが、逃げようとしない。ここの空間が気に入っているようだった。

北側に回る。
それにしても本当にたくさんの種類の気や草花が植えられているものだと感心しながら歩く。
季節もちょうどいいのだろうか。どれもみずみずしくて元気で美しい。 鮮やかな赤の小さな花は萩か。花札で猪といっしょに描かれているのは、これだったのかな。

敷地の入り口の木戸には、ガラス玉 (?)がたくさん埋め込まれていて、とても可愛いことに気づく
さほどスペースのある庭ではないのに、どうしてこんなに多様で、その多様性が心地よいのだろうか。

46)
部屋に上がり、箒で床を掃く。シャワールームの床も洗う。

台風が近付いているせいか、断続的に雨が降っている。

コーヒーをいれて飲みながら、日記を書く。

横になって、胸や腹を叩き、舌打ち音を出す。

((人類の発声機構はどのような進化を遂げたのだろうか))
再び、人類の発声機構について、想像する。
我々が言葉を話すようになったのは、喉頭蓋が下降して、肺気流が口から出せるようになるという身体上の変化があったからだと言われているが、それよりも前の時点でクリック(舌打ち音)による舌筋肉の発達があったのではないだろうか。喉頭蓋の後退はむしろ付随的な現象にすぎず、もっとも重要な現象は舌筋肉が太くなり、さまざまな動きが可能となったからではないだろうか。このあたりのことは、西原先生にお伺いしてみるのがよいかも。

「医道の日本」(H19.5)の西原先生の対談の中で、舌筋は心筋と一体であると書いてあった。そして東洋医学でも舌と心(臓)は「密接な関係があるとされている」(西岡敏子氏の発言)という。

だとすれば、舌がビート(心音)にノルことは簡単ではなかろうか。
クリックが心臓の鼓動と結びついていたと考えてもおかしくない気がする。

数分また横になる。両足を、波打つように動かして、太ももとふくらはぎを床にぶつける。そろそろ出社。(08:05

47)
出勤途中に白田さんにあててメールを書く。
「実は昨日も三鷹に泊まりました。
西原先生にいただいた「医道の日本」(H19.5)の抜き刷りに、『東洋医学でも舌と心は密接な関係にある』と書いてありましたが、人間が言葉を話せるようになったのも、舌打ちなどによって舌筋が鍛えられて発達したからではないでしょうか。喉頭蓋の後退・下降はむしろ舌筋肉発達の付随現象ではないでしょうか」

48)
翌日の深夜に白田さんからメールが返ってきた。
「『舌と喉頭蓋は同じ筋肉の一部分同士なのですか』と、問うたところ、西原先生は、『舌と喉頭蓋はくっついています。人類は口腔内で舌を活発に動かすため、使用目的に合わせて全体が短くなった。結果 として、舌筋に付随する喉頭蓋が後退することになった』
つまり「喉頭蓋の後退・下降」というよりは、舌筋全体が縮んだので、くっついていた喉頭蓋の位 置がずれたような感じです。なので、得丸様の考えるように、舌筋肉の使用目的に対する発達(進化、退化は考え方によって取り方が変わるので、この場合は使わないと言われてしまいました。)の付随現象でしょう。

『チンパンジーの舌は、長くて分厚い。だから口を閉じると口腔内は舌でいっぱいになる、なので喉頭蓋も高い位 置にある』そうです。 そうすると人以外の動物は『ん』の発音が不可能なのかな? と今になって新たな疑問が出てきました。
解答遅くなりまして、申し訳ありません。

49)
僕の返事:
ご回答をありがとうございました。 その辺の本には直立二足歩行したために下降したと書いてあるけど、デタラメですね。
確かに人類の舌は短いですね。その縮小に伴って喉頭蓋も位置を変えたと考えたほうが正しい気しますね。

追加質問ですが、もし可能であれば西原先生に聞いてみていただけますか。

・乳児の喉頭蓋の後退において、舌は短くなりますか。

・人類の舌が短くなった理由として、直立二足歩行によって、両手が空いて、食べ物の下ごしらえができるようになったことや、火を使うようになって食物を加熱調理できるようになったことは影響しているでしょうか。

・そもそも野生動物はどのように舌を使うのですか。

50)
白田さんからいただいた回答:

『乳児の喉頭蓋の後退において、舌は短くなりますか』という質問に対しての答えですが、乳児の喉頭蓋は立体的に鼻器官にはまりこんでいて、成長に伴い後退するようです。だから舌の長さは目だっての変化はないようです。

『人類の舌が短くなった理由として、直立二足歩行によって、両手が空いて、食べ物の下ごしらえができるようになったことや、火を使うようになって食物を加熱調理できるようになったことは影響しているでしょうか』との問題ですが、「それは目的論的であり、後から理由付けをしているだけであって、色々な憶測ができたとしても決して答えにはなってない」と仰っていました。私も「うーん」と困ってしまい次の言葉が出てきませんでした。

そして、動物の舌は捕食によく使われていると思い、『食物を小さく加工してから口に運べるようになったのも、舌が短くなった原因とも考えられますか』と質問したところ、小さく加工できることにより、大きく口を開いて物を捕らえる必要はなく、ゆえに口角の距離が縮まり「ほっぺ」ができたと答えれくれました。これはチンパンジーから人ではなく、爬虫類から哺乳類への移行を説明するものかと思われます。

■9月6日(木) 7泊目

51)
07:15
台風の影響でいつもより一時間早く帰宅指示が出たので、会社を出て三鷹に向かおうとしたところで、英語教育のラボセンターの松本輝夫さんから電話をいただいた。なりゆきで三鷹駅で待ち合わせして、駅近くで食事をとってから、台風で早めに帰宅する通 勤客のごったえすバスにごいっしょして、天命反転住宅におみえいただいた。大沢のバス停から3,4分歩くときにも、横なぐりの雨が降ってきて、台風の接近を感じた。

珍々論々という読書会の延長にある「鷹揚の会」は、1999年の夏合宿で養老天命反転地に行っているので、予習は十分。松本さんは、さすがに感性しなやかというか、部屋に入るなり、床に寝転がったり、ハンモックにゆらゆら揺られて、楽しんでおられた。

ゆらゆらしながら、「あ、そうだ、商業界の清水元気かなあ。去年銀ヘルの忘年会で会って以来連絡をとってない。あの会社の労働争議どうなったかなあ。そうだ、ちょっと電話してみよう」と、書斎パワーを瞬間的に受け止めて、潜在意識を活性化して、すぐに実行に移すのであった。ちなみにこの家に来て、携帯電話を取り出して実際に電話をしたのは松本さんだけだった。パワフルな人だとつくづく思う。

「よし、ここに来週火曜日もう一回こさせてくれ。読書会の仲間にもちょっと声をかけてみよう」 迅速かつ的を得た反応であった。

一時間半ほど滞在されて、バスで三鷹に帰っていくというので、バス停にお見送りする。

52) 21:00
バス停から戻ってきて一人になると、北側の窓に水滴がついて、とてもきれいだったのでみとれてしまった。 写真を窓枠1枚ごと、4枚まとめて、書斎の窓と、とってみた。

シャワー室の前の床に身を横たえて寝る。

■9月7日(金)

53) 02:00
目が覚める。シャワーを浴びる。

03:00
書斎のハンモックでしばらくブラブラする。まるでブランコのように、よくゆれる。
その後、書斎の丸い床の上でうつらうつらする。

06:00
合気道月窓寺道場の朝稽古に行こうかどうか迷うが、台風の影響で中央線に遅れが出ているということもわかったので、うつらうつらまどろんでいることにした。

08:00
足を鳴らしてから、ドラミングをしばらくしていると、今度は、口先を尖らせてチュッ、チュッ、チュッ、チュチュチュ、チューチューと音を立てた。
意外とこれがクリックの前の段階にあったりして、などと思いながら。 セルフタイマーで撮影する。書斎の中で、口先を尖らせて、仰向けに横たわる姿は、エロいオヤジがキッスを求めているみたいで気持ち悪い。

ややおっくうな気分だが、サラリーマンだから出社する。
台風の風と雨の中過ごしてみたが、いろんなところから雨音が聞こえてきて楽しかった。

今日は、芸大の学生さんが部屋を使うので、一旦撤収。出社。

9月10日(月) 8泊目

54)
金曜日まで4泊の予定で着替えをもって、定時に退社していそいそと三鷹天命反転住宅に向かう。
ここに来るとわかっているからか、体が地下鉄東西線の電車の中で、すでに脱力気味である

取るものもとりあえず、三鷹駅からバスにのってまっすぐに家に向かう。 大沢十字路に行くバスが、2番のバス停から出ていたと思ってバスを待ったが、国際基督教大学行きしかない。
いいや、ちょっと歩けばいいのだからと、かまわず乗る。(6番のバス停から52・53系統がでていて、こちらは家の前に停まるみたいだ)

交差点の角にある大沢ベーカリーがやっていたので、あんぱん、クリームパンなどの菓子パンを買う。

55) 19:10
部屋にたどり着く。 電灯を点けないで部屋の中に入り、そのまま元蚊帳のところで横になる。 寝っころがったままパンを食べる。
お湯をわかして、紅茶を入れて飲む。
自宅からもってきた、藤枝守の「植物文様」のCDを流し、スタンドの明かりを消して部屋を暗くする。
植物に電極をつけて、植物の電位の変化を観測してそれをもとに五線譜を書いたアンチクライマックスな曲は、この部屋にぴったり。

http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue61/htm/p8tokumaru.html

56) 20:30
CDを聞きながら横になった状態でいる。
手が体の各部を叩く。

石器時代に楽器ってあったのだろうか。
貝殻のカスタネットくらいあったかなあ。

足をバタバタさせて、ふくらはぎを床に打ちつける。
足の裏を動かす。

わずかに眠る。

57) 21:30
植物文様のCDが止まった。
どうしたくなるのだろうか、

僕の体は。 オー、オーー、オー、オオーっと叫びながら、 球形の書斎のハンモックの中にはいって、ブランコのようにブラブラと揺らす、揺する

(後から気づいたのだが、詩人 山本陽子の「遥るかする、するするながら III」の詩って、
まさに、揺れながら、「オーン、オオーン、オオオーン」という音が出てくる。
彼女は言葉の始原を表現しようとしたのだろうか。 2007.9.13記す)

30分近く揺れていると、ちょっと乗り物酔いをしたときのような気分になる。
ハンモックから抜け出して、球形の床の上に横たわる。

再び「植物文様」のCDをかける。
球形の中でCDを聞いていたら、口笛を吹きたくなった。
音楽に合わせるつもりで、吹いてみる。

いったい人類はいつから笛を吹くようになったのだろうか。
口笛、草笛、指笛、、、

チンパンジーは口笛を吹けるの吹けないの?
指笛はどうだろう? 草笛は?

■9月11

58) 3:30
昨夜は疲れていたのか、乗り物酔いのせいなのか、頭を傾斜の低いほうに置いて、床の上に寝た。
3時過ぎに目がさめたら、すっきりしていた。

直立姿勢で緑のつかまり棒を両手でつかんで、両足のかかとを揃えて、足先は床につけたまま、小刻みにかかとを上げ下げして、足腹が心地よいと感ずる刺激を受けるように数分間動く。足の裏から頭のてっぺんまで、背骨から内臓まで、快い刺激が全身に行き渡る。

これは自分でこうしようと思ってやっているのではなく、足裏が自分でそれをやって楽しいと感じるから、自発的にそう動いているという感じ。

ゴリラやチンパンジーの体操も、べつに順番や時間が決まっているわけではないのだろう。好きなことを好きなだけやっているのだと思う。僕は少し野生生物に近付いてきたかなあ。

週末に読んだ本。 傳田光洋著「第三の脳」(朝日出版、2007)は、皮膚も脳であるという。皮膚のひとつひとつの細胞が感覚器官であり、その場で反応してアクションを起こしているのだそうな。この家に住んでいると、皮膚も脳であると言われても、そのまま素直に受け入れられる。荒川さんが茂木健一郎との対談のときに、「君、脳はいったいいくつあるか知っているか」と聞いたそうだが、荒川さんにとっては傳田さんが本でいっていることはすでに当然のことだったのだろう。知の世界が荒川さんに追いつくのは容易ではないなあと思う。

書斎の中で横になって、植物文様のCDを聞いていた。
人類はいったいいつから音楽を始めたのだろうか。
何がきっかけだったのだろう。 祭りかな。
では、祭りはなぜ、いつから、始まったのだろう。

日々生きていることへの感謝、収穫物への感謝の気持から始まったなどということはあるだろうか。あるいは自然の神秘に触れて、恐れおののいたことによって始まったのだろうか。
殺戮や共食いといった後ろめたい思いを処理できなくなったとき、反省から祭りが始まった可能性はあるのだろうか。

上野動物園のハダカデバネズミは、前代の女王が死んで、次の女王が一匹に定まらなかった期間、数匹のメスが同時に産気づき、子供がたくさん生れたが、お互いにお互いの子供を食い殺しあったそうな。 食べたりもしたのだろうか。

月窓寺朝稽古にいくために吉祥寺行きのバス停に向かう。 (07:15)

■9月11日 9泊目

59)18:45
((読書会仲間の体験居住))
 武蔵境の駅で待ち合わせをして、読書会仲間、男性4名、女性4名が集合。全員40代後半から60代前半養老天命反転地経験者は、僕と松本さん以外に2名、計4名。
タクシー2台で、天命反転住宅に行く。

家のドアを開けて、順番に入っていく。暗い部屋を味わっていただきたいからと、電灯は点けない。
各自、床の上を歩き回ったり、球形の書斎を覗いたり入ってみたり、台所の丸イスに座ってみたりと、自分の居場所を探してさまよう。 15分ほどしてから、電灯を点けてというリクエストが出たので、天井の3つの電球を点け、書斎の中も点ける。
みんなに家の「使用法」のコピーを渡して、順番に声に出して読み上げてもらった。

各自、座る場所を自由きままに入れ替わりながら、おしゃべりをしたり、ストレッチやヨガをやってる。

少ししていたら、だんだんみんな床にそのまま背中をつけはじめて、とうとう全員が床に体を伸ばして寝てしまった。
床にこんなにたくさんの人間が寝転がって平気だったんだと驚いた。

「気持いい」、「体が床に吸い付くみたい」、
「体が脱力してしまって、こんな家に住んだら、仕事がはかどらないわ」という人がいたので、「すぐに回復して、むしろパワーアップして、仕事ができるようになるんですよ」と説明しておいた。

「植物文様」のCDをかけて、しばらくして消灯する。
静かな、癒しの時間がすぎていく。植物文様のCDはみんなに好評だった。
暗くした部屋の中で背中をデコボコの床につけて静かにしていたこの時間がとても好評だった。

60) 21:00
お腹がすいたという声があがってきたので、竹寿司に移動。
遅れてきた3人がこのとき参加。

さきほど体験した人から「得丸さんのブログを読みましたが、正直言って、書いてある内容は信じられませんでしたが、本当だということがわかりました」と複数の人から言われた。

61) 22:00
5名が帰って、3名が遅れて参加したので、合計6名が宿泊。
マットレスを上掛けにしたらと渡したのだけど、みんな下敷きにしていた。
寒いだろうに。
直接床に寝るのには、抵抗があったらしい。

62) 9月12日
先にお腹がすいた3名は6時に家を出てガストへ。残りの3名はうだうだしてから7時半に出た。

9月12日  10泊目

63) 21:30
月窓寺で合気道の稽古をして、吉祥寺から21:06のバスで大沢へ。 すぐに道着の選択をして、洗濯ができるまでの間に近くのラーメン屋に。

洗濯物を干してから、除湿機のスイッチをオンにする。
これを使えばよかったんだ。

22:30
はやばやと就寝。書斎の前の床に、そのまま体を預けて、タオルケットを上にかける。
ぜんぜん寒くない。この床の材質はなんだろう。あんまり冷たくない。寝ていると、体のぬ くもりが床に伝わって、床も少し暖かくなった気がする。


9月13日

64) 03:30
((本覚=生命記憶をよびさます天命反転住宅))
ポール・ゴーギャンの畢生の大作として、「私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこに行くのか」というのがある。 そんなことを頭で考えるのではなく、この部屋の床を、裸足で歩き回れ、というべきじゃないか。

この家は、我々の意識の奥底に封じ込められている本覚を呼び覚ます。 人間は、不自然な、四角四面の空間の中で、生れ落ち、育ち、日々を生きることによって、生まれながらにしてもっている生命の記憶を、押しつぶし、マヒさせて生きている。
この部屋の居心地よさは、住めば住むほど、いっしょにいる時間が長くなればなるほど、私たちを引き寄せるこの部屋は、我々がこの部屋になじめばなじむほど、我々の意識の深奥に眠る生命の記憶、本覚を呼び覚ますからだろう。

私たちはここからきたのだ。四角くて平坦な空間の中で、すべての生命も記憶も抹殺してしまう文明というものが生れる前の時・空間。自然の景観の中で、人類はもともと生れたのだ。

だから、この部屋こそが、文明という窮屈で、自分本位 で、刹那的で、不自然な世界から、我々を未来へと導きうるのだ。このような家に住むことによって、我々はそれを体感しなければならないのだ。

昨日この部屋を訪れた読書会仲間たちは、岐阜の養老天命反転地経験者も未経験者も、あっという間にここの空間になじんだ。日本でこういう家が増えたら、日本は美しい心をもつ人の国になるだろう。

65) 3:50
((自分の発声機構と球形の書斎のつくりだす音響ヴァイブレーションが共鳴する))
もうあまり写真を撮りたいという気分もわいてこないなあ、これからどうしようと思う。
みんなが好きだった球形の書斎に入ってみるとするか。昨日も母胎内を感じると、みんなに好評だったし。

ハンモックにブランコのように腰を下ろして、ぶらぶら揺れてみる。

ハンモックに寝て、動きをとめてみる。
すると、「ムーン」と、体の中から声がする。口を閉じたまま、「ムーー、ウーー」と声を出してみた。

自分の声が部屋の中で反響する。

つぎは「アーーーー」と声を出す。自分の声の反響の中に、ハンモックの中で宙ぶらりんになっている自分がいた。
オモシロイ。

呼気によって声を出している自分の発声機構の内的なヴァイブレーションと、その声によって球形の書斎がつくりだす音響的(アコースティック)なヴァイブレーションが一体化して、自分の内側と外側の区別 がつかない状態になった。
これはこれはオモシロイ。

両手で胸や腹膜のあたりを叩いてドラミングしているのだが、そのドラミングの音が自分の耳では聞こえなくなる。

今度は、オーの音でやってみる。

昨年の仏教修行のときに、自分の唱えているお経や念仏と、周りにいる同行者たちのお経や念仏の声が一体化して、なんともいえない、恍惚としたいい気分になったときのことを思い出した。

合気道多田塾では、「ア、オ、ウ、エ、イ、ン」の六音をそれぞれ一息ずつでゆっくりゆっくりと唱える呼吸をする。合宿では倍音声明といって、みんなで輪になってこれをやる。これも気持ちよくて、起きているのだか寝ているのだかもわからなくなって、やっていて意識を失うこともある。そうだ、倍音声明をやってみようと思う。

ひとつの音に30秒くらいかけて、ゆっくりと声を出す。最初は、「アーーーーーーー」だ。

途中、「ウーーーーーー」、「エーーーーーーー」、

「イーーーーーーー」のあたりで、スピーカーの音をマイクロフォンが拾ってループ回路をつくってキーンという音を立てるハウリング現象のような、高いキーンという音が聞こえてきた。

気のせいなのか、じっさいにそのような音がしているのか確かめてみたくなり、ヴォイス・レコーダーをもってきて録音する。セルフで写 真も撮る。

再生してみると、たしかにキーンという音がしている。
オモシロイ。どうしてこうなるのだろう。

録音をしたり、再生を聞いたりしているうちに、夜が明けた。

66) 5:30
((もう美術館の時代は、本当に終わったのかもしれない))
このような自発的、自然発生的な発見や実験は美術館の展示物の中では生れないし、また、仮に生れえるとしても実験することが許されないだろうということからも、もう美術館の時代は終わったといってよいのかもしれない。

1991年の「荒川修作の建築実験展  見るものがつくられる場」(これは僕は見ていないのだけど)や、1997年のグッゲンハイム・ソーホーでの「We have decided not to die.」に展示されている展示物では、このような実験をすることを思いつかない。展示物と十分な対話をすることもないままに、他の見学者の見学のペースに吊られて、そそくさとうわべだけ見て、形だけ義理で触ったりして、すぐに次の展示物へと移動していたことだろう。

仮にもし、僕が一人で、何かの展示物と一時間取っ組み合っていたら、おそらく他の見学者や美術館関係者から大ブーイング、大クレームが起きたかもしれない。係りの人が呼びつけられて飛んできて、下手をすると、他の見学者とケンカが始まっていたかもしれない。

これは美術館の限界といえるかもしれない。作品を、藝術作品として崇め奉ることによって、頭の中の分類目録にチェックを入れるだけになるのだ。本来、作品と自分の意識との間で生れるべき、言語を超えた次元の直接的な関係が生れないのだ。そもそもそのようなものは求められていないのだ。

美術館は、美術愛好家と称する連中が、その美術館あるいはその美術展に行ったという記号だけを手に入れるだけで、作品との何の対話もないままに足早に立ち去る場となっているのだ。

美術館において、作品ととっくみあって対話したい人間はどうすればよいのだろうか。他の客の迷惑にならず、美術館関係者に余計な負担をかけることなく、自らと作品との対話を構築することはどうすればできるだろうか。

作品の前を次から次へと素通 りしていく人々に、何かいってあげることはないのだろうか。「もう時間の無駄 はおよしなさい」とか、あるいは逆に、「この作品の前から1時間一歩も離れてはいけませんよ」とか。

67) 6:00
トイレ掃除と床の掃除をする。

床の上の走って、台所の回りを10周した。汗をかいた。床がデコボコだから、かえって足がすべらず、安全であることがわかった。

もうやることがなくなったので、本を少し読むことにする。昨日買った「5万年前」というイギリス人科学ジャーナリストが書いた人類史。最新のDNA解析の結果 をたくさん紹介してあるところがおもしろい。南アフリカのサン人に蒙古斑があることは知らなかった。いろいろと参考になることが書かれているが、一方で、ちょっと首をかしげる内容の記述もある。出版社に問い合わせてみようかな。

読みさして、会社に行く。 07:30

9月13日 11泊目

68) 19:00
会社を定時から10分遅れで出た。
いつもだと南北線の後楽園駅から、飯田橋で東西線に乗り換えるのがいつもなのだが、気分が乗らず、ふらふらとビッグエッグー東京ドームのほうに歩いていく。
東京ドームの壁に沿って西側を歩いてトヨタ本社の裏手に出て、小石川後楽園の入り口を通 り過ぎ、そのままJRの飯田橋駅に向かう。 総武線の三鷹行きに乗って、三鷹へ。

先週月曜日に三鷹駅前でコンビニを探していて、ベトナムうどんフォーの店を見つけたので、そこでうどんを一杯食べてから天命反転住宅に行こうと思う。10分近くうろついて、やっとみつけた。牛肉入りフォーを食べるが、いまひとつだなあ。この店長くは続かない気がする。

6番のバス停から、52番の朝日町行きのバスに乗り、家の前のバス停「大沢十字路」で降車。

いつものように、部屋の明かりを点けずに、部屋の中に入る。ここは僕にとって洞窟である。人類が洞窟の中で裸になったことと、言葉を生み出したことの可能性について考えるにあたって、この三鷹天命反転住宅ほどすばらしい環境はない。

先日ここを二度も訪れてくださった松本輝夫さんの話によれば、「15少年漂流記」としても知られている、ジュール・ヴェルヌの「二年間の休暇」でも、少年たちは船を下りたあとのねぐらとして洞窟を探すために探検にでる。そして、少年たちよりももっと前に漂流して、その無人島で死んでしまった男が住みかとして使っていた洞窟を発見するのだった。ヴェルヌの時代においても、住むとしたら洞窟というのが定石だったようだ。

12日の朝、田原千が藤枝守の「植物文様」のCDを借りていったので、なにかほかにかけるものはないかと倉富さんのCDボックスを覗いてみた。Robert Mirabalというインディアンの音楽家のSong CarrierというCDをかける。

鳥のさえずりや風の音に混じって、笛や太鼓の音が聞こえてくる。CDをかけはじめたら、急に脱力して、IHヒーターの横のデコボコの床に直接寝転がって、タオルケットを上にかけた。

CDを聞いていると、「真っ暗な洞窟の中で使えるのは、音しかない」ということが思い浮かんだ。
インディアンの音楽は、自然と調和した音楽だ。鳥の鳴き声や風が木々の葉を揺らす音や枯葉が飛ばされる音をまねすることによって、そして自分たちの肉体を使ってドラミングや口笛やクリックによって、もしかしたら音楽がまず言葉よりも先にあったのではないだろうか。そういう思いがこみ上げてきた。

人間が音に対して敏感になったのは、洞窟の中に住んでいたからではないか。密林の中のように他の動物が徘徊していない、真っ暗な静寂の中では、音による情報しか伝わらない。洞窟に住んでいた時代に、音声コミュニケーションが始まったか、急速に発達した可能性はないだろうか。

3時間くらい寝た。その後シャワーを浴びて、球形の書斎の中で横になる。少し寒い。一枚タオルケットを重ねた。吉祥寺で合気道の稽古をするために7時に出社。

■9月14日 12泊目 

69) 18:40 
幼稚園から高等学校までの同級生Sから、久々に会って話をしようと連絡があったので、反転住宅で話を聞くことにした。
三鷹駅で18:40に待ち合わせして、6番のバス停から朝日町行きのバスに乗る。

70) 19:10
いつものように、灯りを点けずに暗いままの部屋に入り、まず靴下を脱いでもらう。
Sは、「気持ちいいなあ」としみじみいう。

しばらく室内のあちこちをブラブラと歩いて、トイレのCDの使い方など説明した後に、彼は球形の書斎の前の床に腰を下ろす。
しばらく話を聞いていたら、突然、「ちょっと寝ようかな。枕ある?」というので、僕のバスタオルを貸してあげる。
ここにつくまでは、お腹ペコペコだから、早くご飯が食べたいといっていたのに、今は床が心地よいから、体はここに留まってよいといっているみたいだ。

生まれてからこのかた荒川修作という名前も天命反転地というテーマパークの名前も聞いたこともない男が、天命反転住宅のデコボコの床に吸いつけられたかのようにベタッと寝ている。あまりの心地よさに、意識ももうろうとしてきて眠りかけている。

少ししてから、灯りをつけて、天命反転住宅の使用法を音読してもらう。

71) 20:30
竹寿司にご飯を食べに行く。Sのガールフレンドがここで新宿での仕事が終わって、三鷹からバスにのって合流した。
竹寿司の客やマスター夫妻と、反転住宅のことについて議論が盛り上がる。
奥さんは、麻雀をやりたがっていたけど、ご主人がお疲れのようだったので、次回やりましょうということになる。

72) 22:30
Sとガールフレンドと三人で、部屋に戻る。

やはり最初は、灯りをつけない状態で、部屋となじんでもらう。
昼間明るい時分にこの部屋に入るよりも、夜暗くなってから、真っ暗な室内に入るほうが、部屋との関係は良好になるような気がする。
視覚が邪魔をするのだろうか。あるいは、この部屋の持っている初期の現生人類が住んでいた洞窟の魅力、魔力、包容力といったものが、夜間のほうがよりよく放出されるのだろう。
部屋に入るときだって、真っ暗な部屋に入るほうが、部屋を丸ごと一つの存在として感じやすくなるのではないだろうか。

ガールフレンドは、非常に活発な人で、Sが「ちょっと床に寝てみろよ」といっても、彼女は「もったいないから、ちょっと外を歩いてくる」と一人で歩き回り、なんと布団をしいて寝る準備をしていた三階の302号室の室内にまで招待されて入ってきたのだという。

73) 23:30
二人が都内に戻るので、タクシーに乗るところまで見送りして帰ってくる。

■9月15日

74)
6:20
書斎の丸い床に、体を丸めて寝ていた。たくさん夢をみた。今日の夢はけっこう覚えている。
タオルケットにくるまったまま、水俣のことを考える。
水俣病の起きた水俣にみんなが注目しないのには、理由があるような気がする。
実は、みんなあれはチッソだけが悪いとは思っていないのではないだろうか。
チッソが水銀廃液を海に垂れ流したことによって、水俣湾で取れた魚を食べた猫や人が、水銀中毒に冒された水俣病。

一般に、水俣病はもう終わった、過去の物語に過ぎないと言われているが、実は、チッソではない、思いもしないところから、誰かが水銀を環境中に放出して、水俣病と同じ性質の病気が世界に広まる可能性があると思っているのではないか。

2000年以降に出版された、「水俣病の科学」や緒方直人「チッソは私であった」がいうように、水俣病はチッソのせいだけでおきたのではなく、人類文明の原罪として起きたことを、実はみんなうすうす感づいているのではないだろうか。

75) 7:30
夕べ、英語の問題を教えてほしいから、たまには帰ってくれと長男がいってるから、帰るようにと夕べ妻からメールが入っていた。
今日は、「致知」読者の集いが新宿であり、大峯山千日回峰行をなさった塩沼亮潤さんの講演なので、それが終り次第一日だけ家に帰ることにする。

新宿ヒルトンホテルでの講演会が1時半過ぎからなので、それまでにシャワーを浴びて、郵便局でお金を下ろして、、、と考えていた。
まずは顔を洗おうと思って、洗面台にいくと、横の青い壁にわずかながら汚れがついていた。

76) 8:30
そうだ、この間は、窓拭きが中心だったから、今日は作務として、トイレとシャワー室の壁や床磨きをしようと思う。

白い椅子を脚立代わりにして、トイレのところに持ち込む。トイレの窓をあけて、カーテンをたくしあげて、内壁と天井とシャワーボックスの裏の壁のはたきがけをして、箒ではいて、それから濡れ雑巾で天井と壁を拭き始める。

シャワー室の中に雑巾バケツをおいて、3枚の雑巾を使って、隅から隅まで、心を込めて。壁って結構ホコリがたまるもんなんだなあとか、こんなこまかなところが塗り分けられているんだとか、新鮮な驚きを感じながら掃除をする。

床が水ぶきではきれいになりきらないので、風呂場洗いの洗剤を床に吹き付ける。今度は、べたべたがとれなくなったので、思い切って、シャワーボックスの両脇から便器のほうの床にシャワー水を撒く。そして、奥のほうから、水を押し流してから、床を拭いていく。水がゴミといっしょに洗面 台の前に流れ落ちたところで、雑巾で吸い取ってバケツの中に水をくみ出す。

77) 9:45
手が届かないこともあり、洗面台の上の天井は後にして、土管のような洗面 所の外壁を拭きはじめる。椅子にのっても、一番上まで手が届かない。

この間、朝の庭を散歩したときに、階段の下に脚立を見かけたので、降りてとってきた。足元がぐらぐらするので、天井のフックからぶら下げた紐につかまることにする。

洗面所の外壁、書斎の外壁に、それぞれ脚立と紐でいどみ、あらかた拭いた。(書斎の向かって左上のところには、手が届かなかった。)

天井もついでに拭こうと思うが、まずははたきをかけて、それから一部分だけ雑巾で拭いてみるが、全体を拭くのは次回にしようと思う。
洗面台の前壁、天井を、脚立と紐で拭く。玄関の外のピンクの壁、ドアの上部を拭く。

それから床全体を箒ではいて、作務は終了。 
僕は車を持っていないので、日曜日に、自家用車を磨いているおじ様方の気持ちが生まれてはじめてわかった気分。あれは、モノへの愛情表現だ。掃除して、ワックスをかけて磨くのが、楽しくって、楽しくって仕方がないのだろう。

シャワーを浴びてから、新宿にいく。(12:15)



鷹天命反転住宅体験入居の記  Part-1
■■■ 言霊の力の源泉は、心臓の鼓動だった!? ■■■

鷹天命反転住宅体験入居の記 Part-3
■■■ 
新しい文明を作り出すとき ■■■

『平たい床こそ間違っている!』 三鷹天命反転住宅で自然と共存する意識をつくるとき




■得丸公明 ライブラリー  







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