人間を光と共振させる家 − 

荒川修作最期の作品
『バイオスクリーブハウスを掃除して 』
         

自然思想家 得丸 公明

(2012.5.9, 6.13)

 

The House which Synchronizes Human Conscioueness with Lights.
The Cleaning Up of BiosCleave House, the Last and the Masterpiece ARAKAWA + GINS Kumon
"Kimiaki" TOKUMARU - Natural Philosopher Abstract: In the BiosCleave House, the author acquired procedural memories to appreciate lights.
It was an exciting dialogue with the House and the Consciousness of ARAKAWA
.

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■写真:地下倉庫

 

 

 


1. 天命反転は21世紀の只管打坐である


 遠くの酒家の旗が風に揺れてみえるのは、旗が揺れているのかそれとも風が揺れているのか、あるいは心が揺れるのかと禅者は問う。風がなければもちろん旗は揺れないが、それを見て和やかとか激しいと思うのは人の心の作用である。

  禅と現代芸術は、ナンセンスな問いを発しながら言葉以前の意識作用をラディカルに問う点で似ている。どちらもナンセンスに対して言葉をこねくりまわして答えを見つけるのではなく、禅寺の作務や坐禅のように、無心に反射的に行動して答えを見つける。言語の表象を軽視し、行動を重んじるという点で、禅と現代芸術は一致する。

  認知科学的に考えれば、風にたなびく旗が視覚として人間にとりこまれ、脊髄にある網様体賦活系によって抗原提示が行われ、Bリンパ球が記憶するそれまでに獲得してきた記号の体系と自動的に反応するとき、旗が揺れていると認識される。認識とは、再認(recognize)であり、あらかじめ入力信号に反応する受容体があることが必要となる。それがないと見逃してしまう。

  はじめて見る世界をどう受け入れるか。自分が知らない世界を、認識するためにはどうすればよいのか。ここに人間の認識における最大の問題がある。禅は、言葉を忘れて、黙って世界と対峙せよというのだろうが、荒川は人工的な建築環境の中で気づきのメカニズムを構築できるという。

  これまで人類史上誰も思いつかなかった試みに挑戦したのだ。 1937年に日本で生まれ1960年代からニューヨークで詩人のマドリン・ギンズとともに活動を続けていた荒川修作が、1970年の処女作「意味のメカニズム」以来一貫して取り組んできたのは、見るものの意識の構築、意味の発生メカニズムの構築であった。(1) 道元は禅寺の修行を手続き的に体系づけて只管打坐と名づけたが、荒川は建築的につくりだした環境の中で反応する人間に、新たな意識を生みだす壮大な実験を「天命反転(Reversible Destiny)」と不遜にも名づけた。 これまで荒川の実験が具体的な建築物となったのは、岡山県奈義町立奈義町現代美術館に常設された「奈義の竜安寺 心」(1994年)、岐阜県養老町の県立養老公園につくられた心のテーマパーク養老天命反転地(1995年)、有志が資金をもちよって分譲住宅として建設した三鷹天命反転住宅(2005年)とすべて日本国内だった。ニューヨーク郊外に別 荘として建てられたバイオスクリーブハウスが完成したのは2008年。つくられているという話はもっと前から聞こえてきていたのが、なかなか完成したという話が聞こえてこなかった。そして完成した後も、この家についての詳細情報は伝わってこない。

 バイオスクリーブ(Bioscleave)とは荒川+ギンズの造語で、生命を生みだすといった意味だという。今回マドリンと話したときには、バイオスフェア(Biosphere; 生命圏)という言葉といってもよかったといっていた。



  ニューヨークの北東にあるロングアイランド島の最東端に近いイーストハンプトンという高級別 荘地にある篤志家の土地に、古い別荘に隣接する形で、篤志家の資金で建てられた。この家は三鷹天命反転住宅と同じ頃から工事に入っていたのだが、施工業者の不手際で工事が一時中断されたこともあって、完成が遅れたという。いろいろな不運も重なって、なぜかこの家のことは、荒川が亡くなる前も後も、話題にならなかったのだ。

                     

     

2. 現代の公案である意味のメカニズム

 

  荒川が突然ニューヨークで亡くなって丸二年になる。荒川の仕事がもはや芸術や建築という単一の分野に属さない、まったく新しい領域を生み出したためか、まだどの芸術雑誌も建築雑誌も荒川修作の追悼特集をやっていない。おそらく荒川がたどりついた地平に誰も手が届かないのだ。

  荒川のやってきた仕事を総括するためには、荒川を理解するためには、自分自身が荒川になるほかないと考えた筆者は、出発点に立ち返ることが有効であると考え、この2年間、「意味のメカニズム」の図式絵画を眺めて荒川の考えてきたことを理解する努力を続けてきた。(2)(3)(4) 意味のメカニズムは現代の公案である。取り付く島のないような、常識的でない図式絵画を、何度も眺めては忘れ、また思い出しては眺めてみた。

  ちょうど筆者は、人類の言語の起源とメカニズムについて考えていた。それは言語を概念を文法によって紡いだ二重分節化情報として考え、それを処理する脳内メカニズムを特定しようとする試みであった。二重分節化情報とは、データをプロトコルスイッチで繋ぎあわせるインターネットのパケットや、ゲノムを非コーディングRNAによって編集・修飾するメッセンジャーRNAと同じデジタル・ネットワークとして理解することであもる。

 


  難解に思われた図式絵画も言語の概念論や文法論、論理処理を行なう量 子力学について勉強してから読むと、少しずつだが共感できるようになってきた。

  そして5月の連休を利用して、まだ誰もきちんと報告していない最期の作品バイオスクリーブハウスがいったいどのようなものなのかを体験してきた。結論をひと言でいうと、荒川は奈義や養老や三鷹を越えた新しい世界を提示することに成功している。私なりにそれを言語化すれば、この家は「光と共振する人間の意識を生みだす装置」であり、荒川修作の最高傑作とよぶべき作品である。

 

 

3. 家は掃除されることを待っていた

 

 一般公開されていないため、筆者は天命反転財団のギンズと連絡し、訪問の許しを得た。現地滞在時間は、1回目が4月30日月曜日の午後1時から8時半、予定外で訪問した2回目は5月5日土曜日の午前4時から午後6時半であり、どちらも他に誰も訪問者がおらず、管理人に鍵を開けてもらってから予約していたタクシーが迎えにくるまでずっと一人での滞在となった。 (もともとは一回だけ行くつもりだったのだが、初回にもらっていたバスの時刻表情報が間違っていて終バスに乗り遅れ、深夜11時発の電車でニューヨークに午前2時すぎに戻ることになった。バスの乗車券は往復で買っていたので、帰りの券が手元に残った。実は5月1日から4日まではニューヨーク市立大学で脳波のミスマッチ負電位 の国際会議があり、その傍聴をするために訪米したのだが、航空券の予約の関係で5日土曜日は予備日として空けていた。4日の深夜の列車を使うと土曜日半日バイオスクリーブハウスに滞在できるので、マドリンにお願いして再訪の許可を得たのだった。)

  初回は朝から好天に恵まれ、初夏らしいみずみずしい陽光と新緑が美しい一日だった。

  案内人に導かれて、バイオスクリーブハウスに入ると、養老や三鷹で見慣れた造形や色使いがまず目に入る。でこぼこの床面 、すり鉢の底のような家の真ん中で低く位置する台所と食卓、赤と青、緑とオレンジ、黄色と黒、レモンとピンクといった二色合わせを基調とした壁面 、天井から吊るされて床に固定されている鉄の柱。まさしく天命反転の延長にある作品である。


  部屋に入るなり案内人は「残念ですが、少し汚れています」といった。実際、床は掃除された形跡がなくてホコリがたまっており、居室にはここに滞在した人が残したと思しきバッグや衣類、敷きっぱなしの布団、コーヒーをこぼしてそのまま乾いて床に大きなシミになったものがあり、無残に感じた。これではせっかくの作品が台無しだ。電球も何箇所か切れたままになっている。


 (黒の部分の近くにコーヒー?のシミ)


「夜8時半にタクシーを予約しています。後は勝手にやりますから」と管理人にはすぐに帰ってもらい、しばらく家の中と外、地下の倉庫を歩いてみた。

  箱に入ったこの家の使用法が台所にあったが、およそ20の使用法はどれも抽象的な言葉で書かれていて、読んでもきっと理解されないだろうと思えた。おそらくこれを読んでから家の中を歩いた人はまだいないのではないか。もし今から使用法を付け加えるなら、「掃除はこまめに行なうこと。できれば掃除用具は持参すること」というのを入れてもらいたい。家中探してみたが雑巾もバケツも見つけられなかった。幸い箒が2本見つかった。

 まずは作務からだ。ある程度掃除しないことには、作品と対話できそうにない。各部屋に入って、窓を開け、箒でホコリを掃き集めて電気掃除機で吸い取る。もしかしたら完成して以来、一度も掃除したことがないのではないか。家にあるまじきことである。結局、この日帰るまでの時間、私はほぼ箒を握りっぱなしだった。使いすぎて耐用限界を超えてしまったのか、一本は掃いている最中に折れてしまった。残った時間で、余分なものを地下へと運び、雑巾がなかったので台拭きを使って床のシミを落とした。

  掃除をしながら、ふと目がいった先におもしろい目を引くものが見つかると、写 真に収めたり、近くまでいって、それが何であるかを確かめていた。無目的に歩きながら鑑賞を試みるよりもゆっくりと鑑賞でき、視線や体の高さも変化し位 置が様々な地点に落ちるので、より効果的な鑑賞法であったと思う。

 

 

4. 室内でおきる光の競演

 

 養老や三鷹と比べて何が新しく加わったかというと、各部屋の天井近くの横壁面 に横一列に4つから5つ採光窓が並んでいることと、部屋と連接していないデコボコ床と外界を、プラスチック製のオフホワイトのパネルがまるで障子のように仕切っていることである。このプラスチックパネルの仕切りは、より透明度の高い素材を使って部屋の中にも設置されている。中と外は同じであるという思想表現であるのだろう。

 これらの新しいパーツがどのような効果 をもつのかは、一見しただけではわからなかった。窓があるなあ、白い壁は障子みたいだなと、目には入ってくるものの、とくに印象に残らなかった。それらが強烈なインパクトをもって私にメッセージを送り始めたのは、夕方6時、太陽が西に傾きはじめてからだった。

 部屋の床を掃き終わって、中心にあるデコボコの床を箒で掃いているとき、反対側の黒い壁に、はがきサイズの強く輝くものをみつけた。その輝きがあまりに強いため、いったいそこで何が起きているのかすぐにはわからなかった。


  掃除を中断して黒い壁のところにいくと、それは太陽光の反射であるとわかった。光がきている方向をみやると、近くの部屋の横壁の右から二番目の採光窓に太陽の姿があった。ストロボを使わずに撮った写 真は、太陽の光以外はすべて真っ黒に写っている。

  周りを見回すと、他の窓や壁にも太陽光線とその影がみえる。それまで5時間も滞在していながら、窓からの光が壁で反射することには気づいていなかったのだ。気づかないというのはこういうことをいうのだろうか。夕方までいたおかげで気づくことができたのは幸いだった。


  掃除を一時中断して、他の部屋の中で光がどのような挙動をしているのか観察してみることにした。まだ照明は使っていなかったので、すべて太陽光起源の光だが、入射光、壁面 や天井での反射光、反射光のそのまた反射光、ガラス窓や透明度の高いプラスチックパネルの透過光が家中に満ち満ちていた。光は直進するはずなのに、パネル配置や壁面 の描くカーブによって、光もまたカーブを描いている。それらがお互いに交じり合って、どの光がどこからきたのか簡単にはわからない、室内でまるでオーロラのような光の大賑わい現象が起きているのだった。

 

 

5. 無限の光の信号経路が用意されたカスケード

 

 光あるところ影が生まれる。ただし影を見るためには、光源と影を生むものと影を見るものの間の位 置関係が重要になる。我々が太陽光線による地球の影を見ることができるのは、月食のときであり、夜間はいつも地球の影の中にいるのだが、その全体像を見ることはできない。


 6時台に各部屋を回りはじめてから、オフホワイトのプラスチックパネルにところどころ薄ぼんやりと影が写 っていることに気づいた。太陽高度が低くなったために、家を取り囲んでいる木々の影が、家の壁に届くようになったのだ。よく見ると、風が吹くためか影が揺らいでいる。まだ新緑で葉っぱも小さいが、夏にはもっと大きく濃い影となり、秋には落ち葉も舞うのだろう。冬は雪に反射した陽光で照らすのだろうか。


  ガラス窓からは木々の姿が見えると同時に、横の壁面にその木々の影を映し出している。上の採光窓から入射する太陽光は、反対側の壁に木々の影を映し出している。何種類もの影が、窓や壁に映し出されていて、子供のころ幻燈をみたときのようにワクワクしてきた。光は地球の自転にともなって入射角度を変えるので動きが緩慢だが、木は風で揺れるので、影の動きはリズミカルで多様であり、見ていて飽きない。 天井や壁には鏡像も映し出されている。光同様、シルエットと鏡像がいろんなところからやってきて、見るものを楽しませてくれる。撮影した写 真をみていると、思わぬところで写真を写している自分の姿が鏡像として写 っているのに驚いた。

  撮影した写真を後から眺めると、すべての写 真の中に、撮影時には気づかなかったたくさんの光の信号経路と着地点が見えてきた。この家は、無限数の光の信号経路が生まれる連滝(カスケード)として設計されているようだ。


 
2回目のとき、徹夜で来たため朝7時から3時間ほどデコボコの床の上で寝た。その後、お風呂に入ろうと思ってお湯をためようとしたところ、すぐにお湯が出なくなって、水になり、入浴できる温度で貯めることはできなかった。湯船は不必要に大きく、なかなかお湯もたまらない。しかし、湯船のお湯を見ていると、そこに天井のくり抜き部分や窓が鏡像として映し出されることに気づいた。色もそのままで、まるでパラレルワールドのようだった。  使用法には、「湯船には常に水を一杯にしておきましょう。いろんな方向いろんな角度から、水面 に何が写るかを確かめてみましょう。細く水を垂らすことで、音響効果 も楽しみましょう」というのを付け加えたい。ちょろちょろと水を流すとその音が部屋に響いて居心地がよかった。もし可能なら、鹿脅しのようなものを用意して、幽玄な音を出せばきっと部屋に似合うことだろう。



6. 入り口は下半分のドアだけ使って、かがんで後ずさりしながら入ること


  バイオスクリーブハウスは、旧別 荘から通路を通って入るようになっている。旧別荘のはずれから数段階段をおりて、廊下を少し歩くと、今度は5段ほどの小さな階段があり、それを上ったところが入り口である。

 この入り口のドアは、上半分、下半分の2枚に分かれている。金具を止めると一枚として使うこともできる。だが、上半分は壁に固定でき鍵もかかるようになっているのに、下半分は壁の止め具が曲げられていて、鍵をかけることができないようになっている。


  これはいったいどういう意味だろうか。一体にして開け閉めし、半分ずつにして開け閉めしてみる。おそらく荒川は、上半分は常時閉鎖状態にしておいて、下半分だけを開閉して、茶室のにじり口のように入ることを狙ったのではないだろうか。

 そう思って月曜日には上半分を固定しておいたのだが、土曜日に行くと元通 りになっていた。管理人がそうしたのか。にじり口というものを知らなかったら、下半分だけを使って出入りするという発想を拒否するのだろうか。

 

7. 荒川のヴェルニサージュ(最後のひと刷毛)

 今回の短い滞在の中で私がもっとも気に入った場所は、この入り口である。扉の前は靴脱ぎになっていて、扉とはそれを隔てて反対側に赤い窓枠で囲まれたガラス窓がある。このガラス、強化ガラスが粉々に割れていながら一体を保っている。ここだけにしか見られない仕掛けであり、心を引き寄せられた。
 

ニューヨークに戻って、マドリンに報告すると、もともとは割れていなかったのだけど、偶然割れたのだという。同じ話をマドリンの秘書役のヨーコにすると、ちょうど荒川が亡くなる頃に、突如としてひび割れたのだという。

 
  ちょっとミステリーじみているが、荒川ならありえる。地上での呼吸をおえた荒川は神となって、最後のひと刷毛として、入り口の前の窓を粉々に砕いたのではないだろうか。荒川修作は「私たちは死なないことに決めた」、「死なないために」といったことを主張していたが、この家に行けば、生きている荒川に会うことができる。そんな印象をもった。


 

8. そして私は別の人間になれただろうか


 旗が風にたなびくのは旗が動いているのか、心が動いているのか。複雑で繊細な生命のネットワーク現象を感じ取るためには、わずかなヒントに心が震えて反応する必要がある。この家で生活すると、意識がそのように進化するだろうか。
 

訪問したことを電話でマドリンに報告し、「最高傑作ですね」と伝えたところ、「昨日の自分と違った自分になって帰ってきた?」と聞かれた。実はその翌日さっそく不思議なことが起きた。


  水曜日の朝、朝早くホテルを出て8番街と西29丁目の交差点にいくと、なつかしい人に再会した気がしたのだ。その相手とは、歩行者用信号の止まれのサインだった。豆電球でつくった片手を広げた形の輪郭は、バイオスクリーブハウスでは銅製のパネルとして、いくつかの部屋で照明のスイッチとして使われている。その記憶のおかげで、止まれの信号に妙な親しみを感じたらしい。10ブロックほど下がったところにある合気道の道場に通 っていたのだが、その日は交差点ごとに歩行者用信号を写真に収めていた。光や形への感受性が高まったのだろうか。

  


  また帰国する飛行機の中でひと眠りして目を上げると、通路の上にある黄色い電灯が、彗星の尾っぽのように「く」の字のように壁に伸びていた。それが反対側の荷物入れに当たって扉をうすぼんやりと照らしていた。それはさらにもとの彗星の尾っぽのとなりで逆「く」の字に身をそらしていた。

 


  この光景がとてもなつかしく感じられ、カメラを取り出していろいろな明かりを写 真に収めたのだった。もしかしたら、僕の意識の中で、光に対する感受性が高まったのかもしれない。 短い滞在の間、掃除ばっかりやっていたので、私の体験したことがはたしてどこまで作家の意図を反映していたのかはわからない。だけど私にとっては、発見と感動に満ち溢れたおもしろい体験だった。


  掃除しているときにくしゃみが出て、バイオスクリーブハウスの中では、音が非常によく反響することに気づいた。そこで思っていたことを、大きな声で叫んでみた。「荒川さん、おもしろいです。本当にすごいものを作りましたね。You did a very good job!」荒川は天国なんかいってなくて、きっとこの家のどこかに隠れていると確信した。

  これこそが芸術である。もしこれが芸術作品というのに値しないというなら、人類はまだなにひとつとして芸術を生み出していない状況にあるといっても過言ではない。 まだこの家の存在を知らない人たちに、ぜひともこの家を掃除にいくよう奨めたいと思い、つたない体験の一部を言語化して記録する。荒川は、この家を味わってくれる人が来ることを首を長くして待っている。

 

 


  そよ風に揺れ動く一枚の木の葉に感動できる意識をつくりだすことが、現代における悟りであろう。 

 (2012.5.9,6 .13)



(1) 得丸 文化的相対主義から生命相対主義への不可避的変遷
〜ヒトに自然論理を実装するための最澄・道元・荒川修作の工夫 〜
電子情報通信学会 信学技報 AI2010-1

(2) 得丸 荒川修作の「意味のメカニズム」を解読する 
〜 天命反転という身体技法のもつ希望 〜 
電子情報通信学会 信学技報 LOIS2011-8

(3) 得丸 荒川修作の意味のメカニズムを解読する(2) 
〜 荒川修作インタビュー「建築で人間の意識を生み出す」 〜 
電子情報通信学会 信学技報 IBISML2011-2

(4) 得丸 荒川修作の意味のメカニズムを解読する(3) 
〜 人類文明の論理エラーを発見し修復するために 〜 
電子情報通信学会 信学技報 MVE2011-30



 







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