伊藤公象の“ジュエル・ボックス”

                                        若松 基 富山県立近代美術館学芸員

 ジュエル・ボックス(宝石箱)〉と名付けられた伊藤の新作シリーズは、作家の経歴の中では〈起土〉の系譜上にある。作家の工房裏手の土捨て場で、北関東の厳冬に凍ったり融けたりを繰り返し、渾然一体と堆積した諸々の種類の陶土。伊藤は厳寒の夜間や早朝にこれを掘り起こし、そのまま窯に入れ焼き締める。凍土の結晶形に微細にささくれだった千変万化の形体が崩壊寸前の様相を視覚化する―これが起土の基本形である。起土はその後、氷結模様の美を抽出した〈凍土の化粧〉や、崩れ落ちる土の様相を強調した〈アルミナのエロス〉といった豊富なバリエーションへと発展した。これらは、“人為を最小限に留めながらいかに土そのものを作品として自律させるか”という基本から、“土という自然のうちに内在する何らかの構造をいかに視覚化して見せるか”への発展であったと言えよう。
伊藤におけるこの方向性は、実は集合体で見せるという手法を編み出した〈多軟面 体〉から〈木の肉・土の刃〉への展開の場合でも同様で、土から伊藤が最小限の秩序の法則をひき出す単体の製法は似ているが、後者では集合体を俯瞰したときにも、その秩序が交錯する曲線のリズムとして視覚に強く訴えかけてくる。昨年テート・セント・アイブス(イギリス)の個展で発表された「海の襞」では、多軟面 体と木の肉・土の刃計2,000ピースが長さ15mのガラスケース内に一体となって展示され、動から静そしてまた動という大きなリズムが、窓外の大西洋の大自然との対話を見せた。 さて起土の基本となる代表作は1984年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作だろうが、起土として最初に発表されたのは、それに2年先立つ「起土―魚形の仮説」だった。ヴェネチアの作品でも、起土には金、プラチナなどの金属や長石、ガラス粉などが焼成過程で即興的にほどこされたものが微妙に入り混じっていたが、プロトタイプと言うべき初出作では、その比率はほぼ相半ばするほど多かった。それから約20年を経た2001年、伊藤は〈客土〉と名付けた作品を発表した。それは、陶芸の常識では釉薬の溶媒として物質と物質を結びつける役割を果 たすに過ぎない長石に、微量の顔料を混ぜて高温焼成したもので、わずかな焼成温度の差によって色調や表面 に刻まれた襞の様相が千変万化の変化を見せた。起土のプロトタイプから基本形が完成する過程で大幅に減らされた入り混じるものの一つ、長石だけを取り上げて作品化した、これも起土の兄弟と言えよう。
まるで家系図のような話になってしまったが、昨年初めて発表された伊藤の最新シリーズ〈ジュエル・ボックス〉は、成り立ちとすれば起土の基本形に長石を施されたものだけを抽出し、さらにつやつやとなまめかしく輝く釉薬を施して再焼成したものである。色調も形体も千変万化のそれはやはり起土の兄弟の一人と言えようが、特徴としては個々の単体がこれまでになく小さく、また、従来の漢語調(?)に比べ、ずいぶん親しみやすい印象のタイトルである。
乾由明氏は富山近美で個展のあった1996年に、伊藤の造形の本質的な特色を、現象としては多様な差異を示す個々の単体の不定形なフォルムが、構造としては等しく土自体の特質に基づく同一性を備えていることと捉え、「土というもっとも根源的な物質をとおして、自然の中に潜むこの差異と同一性、現象と構造の連関をあざやかに開示した」伊藤の制作は、「土という自然の隠された美と真実を、できるだけ率直にあらわにしようとする、この真摯な作家のたゆみない努力の豊かな成果 」だと称えている。終始一貫するこの伊藤の特質は、今回の〈ジュエル・ボックス〉でも何ら改訂する必要は認められない。 こうした伊藤の“ライフワーク”とでも言うべき一貫した制作の歩みは、まさに単に作るというよりも、作品を育むというほうがふさわしい。〈ジュエル・ボックス〉については「真珠も宝石として扱われている。しかし、真珠は生物がはぐくんだ鉱物。ならば、人間がはぐくんだ鉱物(作品)を宝石と言ってもいい」という作家のコメントがある。宝石のようにきらきら輝く作品が部屋いっぱいにちりばめられ、部屋自体が一個の宝石箱と化する空間。これまでも伊藤の仕事は、どんな風景画家よりも真摯に自然の無限の豊饒さと向き合ってきたが、その本質を何らゆがめる事なく、〈ジュエル・ボックス〉は“現代美術”というだけで敬遠しがちな人々にさえ、思わず「きれい」と言わせてしまう何かを備えている。
〈ジュエル・ボックス〉がこれまでになく注目される点は、無論それだけのことでもないだろうが、"現代美術の閉塞的な状況"という問題意識に向けた伊藤なりの回答の試みが、あるいはこの愛らしい作品のうちにこっそりと潜んでいるかもしれないことにもある。実はそんな気がしてならない。





{21}




                             


 







{22}
{3} {13} {23}



 

 


{24}




{25}
{6} {16} {26}
{7} {17} {27}
{8} {18} {28}
{9} {19} {29}
{10} {20} {30}

(C)Copyright 2001 MILESTONE ART WORKS, All Rights Reserved.

著作権について:
MILESTONE ART WORKS及び作家が提供するこのウェブサイト上の文書、画像、音声、プロ
グラム などを含む全ての情報を、著作権者の許可なく複製、転用する事を堅くお断り致します。